第7回「戦略的組織改革 人事編②」

織田信長に学ぶ勝者の組織改革

信長は人事登用で他の大名がしなかったような流れ者の登用を積極的に行ってきたことは
前回にお伝えさせていただきました。

例えば羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益などです。
また登用だけでなく評価制度も非常に合理的でした。

昨今企業の売上、利益が減少する中で、成果に応じた利益の配分を行いたいという
事業所様が非常に多くなっています。

しかし、成果主義にすると一部の労働者(幹部層)の反発はすさまじく、
反対意見ばかり出ます。

なぜなら成果主義にすれば自分たちの給与が減ることがわかっているからです。

そのような社員に屈し、決断できない経営者が後を絶ちません。

何かしようとすれば幹部層の反発に合ったり、社員が動かなかったりする。

どうしたらいいのか悩んでいるという方のために、織田信長式評価制度をご紹介します。

織田信長は、家来たちに極めて合理的に、働きに応じて現実的な
利益を与えました。

古参、新参問わず、等しく恩賞を与え、領地を授けました。
戦場にも金銀などを持ち歩き、手柄を立てた者には即座に褒美を
取らせたといわれています。

つまり、個人的な好き嫌いで恩賞を左右せず、
また旧来の評価基準とも大きく異なる点がありました。

例えば桶狭間の合戦での評価を例に挙げてみましょう。

旧来であれば首を取ったものがまず第一武功となるのが通例でしたが、
信長はこの時の第一武功を今川義元の行動を知らせた梁田政綱を第一武功、
義元に最初槍をつけた服部小平太を第二武功、
そして義元の首を取った毛利新介を第三の武功としたのです。

桶狭間の勝利は一にも二にも敵の本陣を奇襲できた結果が重要です。
その意味では、正確な敵情報を知らせた梁田の働きが効果的で
あったことは確かです。

この情報さえあれば、服部や毛利がいなくても誰かが義元を打ち取っていた
可能性は高いです。
次に重要なのが、乱戦の中で目指す義元を発見したことであり、
それをした服部の功績は大きいです。

信長はこの時も世の「常識」にとらわれることなく、
成果に応じて評価の判断したのでした。

【筆者の一言】

最近評価制度の見直しをお考えになる経営者の方が多くいらっしゃいますが、
そのほとんどが年功部分を少なくし、成果部分を大きくするような
評価制度にしたいという相談です。

特に中堅企業に多く見受けられます。
中堅企業(100名程度)は人材の年齢分布がいびつになってしまっています。
60代50代が多く、40代30代が少なく、20代が多いというのがよく見るパターンです。

これはなぜか? バブルがはじける以前にかなり社員をたくさん雇用して、
不況以後採用を控えていて、社内の高齢化が問題になってきた2008年以降に
20代を採用し始めたという企業が多いからです。

しかしこういう企業ほど業績がよくない傾向にあります。
なぜなら年齢が高い人ほど人件費は高いが、
それに見合った成果を出している人が少ないからです。

当然しわ寄せは若い世代に行き、いくら頑張っても何もないということで
モチベーションの低下につながったり、最悪転職してしまったりという
結果になってしまうのです。

筆者の想いですが、成果主義が必ずしも良いというわけではありません。
やり方によっては会社そのものを壊してしまうこともあります。

しかし、年功部分が手厚い企業様ですと、成果を生まずとも昇給
していってしまいます。

そうなってくると成果と給与のギャップが生まれてしまいます。
弊害はたくさんありますが、一番ダメなことが社員の考えが
甘くなってしまうということです。

そうならないために信長式評価制度を使用して、
社員があげた成果に応じて評価をするというのが重要になります。

しかし、その成果を見誤ってはいけません。

いろいろな事業部がある企業様だと成果が判別しにくいケースもあります。
そこは客観的にどこが一番成果を出すことに必要だったのかを考え、
評価をすることが必要であると考えています。

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