第8回「戦略的組織改革 市場戦略編」

織田信長に学ぶ勝者の組織改革

信長は組織改革を行うとともに民衆(ステークホルダー)の満足と
いうものを重要視したしました。

いわゆる楽市楽座です。

信長は民衆の満足を背に組織を大きくしていきました。
その民衆を熱狂させた市場戦略をご紹介します。

古来から商人はみな同業種組合を作っていました。
この目的は物資の供給量を調整し、価格の下落や供給過剰を防止するためと、
集団の力で盗難を防止し、災害の損失を分散することです。

これが中世になると一層強化され、組合員以外の参入を防止する
身分管理にまで発展していきます。

室町時代はそうした商人組合「座」が最も強化された時代でした。

それぞれの座は公家や有力寺社のお墨付きを得ることで別の組織が
できることを防止する一方で一定のお金を寺社等に差し出していました。

しかしこのころは新技術、新農業が入ってきて経済発展期であったため、
潜り商人が乱立するようになっていきました。

戦国時代とは武士が激しく争っただけでなく、商業利権をめぐる座と潜り商人
との間で激しい争いが行われていたのでした。

当時各地の大名たちは、公家や有力寺社と争いを避けるため、
そういったところからお墨付きをもらっている座を擁護しています。

なぜなら当時の有力寺社は広大な土地を持ち、自前で僧兵を養う武装集団であり、
敵に回すと軍事的な損失を生み出す恐れがあったからです。

しかし織田信長だけは違い真っ向から戦いを挑んだのでした。

織田信長は座に関係なく誰でも自由に商売してよいという
「楽市・楽座」の制度を始めたのです。

このことは信長領の商品流通を盛んにしただけでなく、商品生産、技術革新などが
起こり、民衆の生活水準も向上していったのでした。

またこれにより武士による一元的な租税制度も誕生することになったのです。

当時は大名のほかにも寺社等が年貢を取ることが多く、
二重課税が起こっていました。

これでは民衆の意欲を妨げることに気付いた信長はこれを機に
租税制度まで変えてしまうのでした。

しかし、今まで年貢を取っていた寺社や公家の収益減少につながることから
猛反発をくらい、すべての宗教勢力を敵にまわす結果となり、
長く苦しい戦いを強いられることになったのです。

ただそれにも増して、民衆の満足度は高く、生活水準も高くなっていきました。

みなが裕福になるので税収もしっかりと確保でき、
その資金力をもとに軍隊を組織し、反対勢力と戦うことができたのでした。

つまり、信長の後ろには常に民衆の圧倒的な満足があったのです。

【筆者の一言】

昨今企業繁栄はステークホルダーの満足が不可欠であるといわれています。

ゆえに顧客満足(Custmer satisfaction)を求め企業はサービスを
展開していくことが求められています。

しかし信長の時代と違い、顧客のニーズというのはかなり複雑に
細分化しています。

だからすべての顧客に満足を与えることは不可能に近いといわれています。

そこで最近考えられているのが従業員満足(Employee satisfaction)
という考え方です。

この考え方は従業員が満足していない会社は顧客満足を
得ることはできないということです。

細分化しすぎて対応できないのはフレームワークを
用いて対応しようとするからです。

人間力にフレームワークは必要ありません。
ですから対応は無限大です。

また満足した社員は顧客を満足させるため必死に考えます。
そうなってくると自然と顧客満足につながります。

顧客のためにサービスを提供することは当たり前のことですが、
その当たり前のことができない企業が非常に多くなっています。

まずは顧客満足を考える前に従業員満足を考えてみてはいかがでしょうか。

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